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吉野山の史跡名勝と歴史
国宝・重要文化財・史跡名勝

金剛蔵王権現尊像

国宝
藤原道長の経筒

西行庵

後醍醐天皇肖像画

楠木正行辞世の歌

芭蕉句碑

国宝
金峯山寺蔵王堂

吉野朝皇居跡

重要文化財
吉水神社

金峰神社

後醍醐天皇御陵

吉野神宮
国指定文化財の名称 史跡名勝 所有者・管理団体
金峯山寺本堂 国  宝 金峯山寺
金峯山寺仁王門  〃    〃 
大和国金峯山経塚出土品  〃    〃 
木造玉依姫命坐像  〃  水分神社
金銅藤原道長経筒  〃  金峰神社
金峯山寺銅鳥居 国指定重要文化財 金峯山寺
絹本著色千手千眼観音像  〃    〃 
板絵著色廻船入港図額  〃    〃 
本造童子立像(伝普成、普建)  〃    〃 
木造蔵王権現立像  〃    〃 
木造蔵王権現立像(旧安褝寺本尊)  〃    〃 
木造聖徳太子立像  〃    〃 
銅燈籠  〃    〃 
金銅装笈  〃    〃 
梵鐘  〃    〃 
金銅五鈷鈴  〃    〃 
線刻蔵王権現鏡像  〃    〃 
吉野水分神社  〃  吉野水分神社
木造天万栲幡千々姫命坐像  〃    〃 
吉水神社書院  〃  吉水神社
色々威腹巻  〃    〃 
御消息紙本墨書(伝後醍醐天皇宸翰)  〃    〃 
厨子入木造蔵王権現立像  〃  如意輪寺
木造五智如来坐像  〃  大日寺
木造地蔵菩薩坐像  〃  桜本坊
木造役子角像  〃    〃 
銅像釈迦如来坐像  〃    〃 
鉄鐔卒塔婆透シ  〃  金峰神社
大和国金峯山経塚出土品  〃    〃 
紙本墨書慶長十九年五山衆試文稿  〃  竹林院
天満神社本殿 県指定文化財 天満神社
木造仁王立像  〃  金峯山寺
木造釈迦如来坐像  〃    〃 
木造釈迦如来立像  〃    〃 
金峯山寺の蓮華会(蔵王堂の蛙とびと奥田の蓮取り)  〃  蓮華会(金峯山寺)
木造大日如来坐像  〃  東南院
木造阿弥陀如来立像  〃  弘願寺
紙本著色吉野曼茶羅  〃  如意輪寺
コウヤマキ群落  〃  (個人)
桜本坊のギンモクセイ  〃  桜本坊
吉野山の歴史

757  僧尼令、修行僧金峯山へ次々と入山
898〜 宇多上皇、藤原道長、頼道、師通、白川上
1092  皇ら金峯山寺に詣る
1140  西行法師出家、その後吉野の花を
     訪ね庵をかまえる
1140  平忠盛三郎鐘を寄進
1185  源義経、静御前、頼朝に追われ来山

1251  子守宮へ宣陽門院外三十六人
     玉依姫の神像を寄進
1318  後醍醐天皇即位
1333  大塔宮護良親王吉野山を城塞化し兵を挙げる

1334  建武中興
1336  後醍醐天皇皇居を実城寺に定め金輪王寺と
     改め、吉野朝廷(南朝)始まる
1336  尊氏幕府をひらき南北朝が対立する
1339  後醍醐天皇崩御、後村上天皇即位
1347  楠木正行、天皇に別れを告げ如意輪寺に辞世の歌
     を残す
1348  高師直軍が攻め入つて蔵王堂、仁天門、銅の
     鳥居などを焼いた

1445  後南朝軍が愛染に攻め入る
1553  称名院公条来山、吉野詣記を書く

1579  末吉勘兵衛が桜1万本を寄進した
1592  建立後数度焼失した蔵王堂が再建される
1594  豊太閤秀吉五千人の大花見

1604  豊臣秀頼水分神社や奥の院の諸堂を再興
1667〜 熊沢蕃山、貝原益軒、松尾芭蕉、本居宣長、
1819  頼山陽ら学者、歌人相次いで吉野へ

1868  神仏分離の令
1893  島崎藤村来山
1894  奈良県立公園に指定される

1916 公益財団法人 吉野山保勝会設立
     荒廃しかけた名勝地に復元の努力が
     人々によって始まった
1924  国指定史跡名勝に指定される
1936  吉野熊野国立公園に指定される

2004  紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産に登録